バツイチからのゆるいスローライフ
人生後半を ゆったりまったり飾らず、自分軸で生きていく🌷
おひとり様LIFE

旅先で逝った父 父と家族の最後の奇跡 ちょっとだけスピリチュアル

今回は 旅先で亡くなった父を
看取り、荼毘にふすまでの家族の奇跡と葛藤のお話。

重くならないように あえて
明るく おはなしします

私の父は旅行中の事故により
旅先で入院 3週間後に容態が急変し
この世を去りました。

普通に 居住地で亡くなった場合の
葬儀への流れは、大方わかりますが

旅行先の 北海道で亡くなり、
自宅の東京へは どうやって帰るの?

あまりにも急な展開と、悲しみで
頭はまっしろでした。

旅先で入院・危篤となった父が亡くなるまでの状況

父は 温泉とひとり旅が大好きで
84歳を過ぎても元気で、年4回は1人旅してました

私のひとり旅好きは 父ゆずりなんですね(๑˃̵ᴗ˂̵)

旅先での事故とは、転んで頭を打ち
病院に運ばれたものの、大したことは無いとの事で
ホテルに戻り その日は何事もなく 就寝。

この1回目の病院は 父の泊まっていたホテルの
近くの病院です。この時の出来事については
家族は後から知りました。


翌日、食事後に温泉に入り お風呂の中で 意識が無くなって溺れてしまい
幸いすぐ近くにいた方に助けられて 今度は大きな病院へ。 

ここで初めて家族へ病院から連絡。

お医者様によると

先生

お風呂で意識が無くなった原因は、頭部を強打した事が原因とは限らないので他の可能性を含めて しっかり検査しますけど、すぐに何かあるような問題はないですよ

元気だし 大丈夫!
心配かけて悪いな〜
遠いし、来なくても大丈夫だから

きよ

じゃあ、1週間後の退院に合わせて
迎えに行くよ!

一週間後 私と母で北海道へ
私と母は、明日にでも父を連れて帰れると思ってました。

行ってみると 父は熱があり
溺れた時に飲んでしまったお湯から細菌性の肺炎を起こしていると・・・

先生

頭やその他の検査は問題ありませんでした。
ですが 肺炎は高齢者なだけに油断はできない状況です。

少し話が出来たくらいで 翌日にはあっという間にICUへ

急遽、私と母は 飛行機をキャンセルし
病院の横にあるホテルに もう一泊

翌朝 母とホテルでの 朝食時の会話

肺炎は本当にこわい。いつ悪化するかわからない。
お父さんはやめたとはいえ、過去にタバコも吸っていたし
肺の状況は 良くないしね・・・
覚悟も必要かもしれないね

きよ

お父さんは強いし
 きっと大丈夫だよ!

挿管を外すのはとても難しいかもしれない

私とお父さんで前に話をしてたんだけどね
もしもの時は・・
お互いに無理な延命治療は望まないって。

きよ

やめてよ?!そんな話
縁起でもない!

お父さんは大丈夫だよ!

私はまるで こどもみたいですね。
それ以上の話は 聞きたくありませんでした。

先生

ICUで人工呼吸器をつけたので、家族がついてても出来ることもないですし、
逆に疲れさせてもいけないでしょう。

遠方ですし、何かあったらすぐ まめにご連絡しますから。

とのこと。東京に帰りました。

そこから1週間、病院からは何度もやりとりはありましたが

ある日

先生

状態が良くなって 
挿管を外しましたよ!

今、病室からかけてます。
電話でお話しますか?

本当ですか!ありがとうございます。

お父さん!? よかったね?
聞こえる?

うん・・・
・・・うん・(泣)

あまり言葉にならなかったらしいですが
看護婦さん曰く 父は嬉しくて泣いていたとのこと。

きよ

よかった!すぐ行こう!
飛行機手配するね


安堵し、喜び勇んで 母と再び北海道へ

ですが 駆けつけてみると
挿管は外したものの 父はとても苦しそうでした。

痰を吸引する時、苦し過ぎて 首をふりながら、弱々しく もうやめてくれっていうジェスチャーをしてたのが見ていて本当に辛かった。

あまりにも変わる 父の容態の変化に呆然。 

当然、良くなったと思ってたので 今回は日帰りの予定で来ていました。

帰る時 リハビリで足や腕を看護師さんに動かしてもらっていた父へ

きよ

またすぐに来るからね
お父さん 頑張ってよ?!

と手を振った私

言葉は出ないので笑顔でうなずくだけですが・・・

父はほとんど自分では動かせなかった手を 大きく上げて振り返してくれました。

私は思わず泣いて駆けよって 父の手を両手で握って
『本当にまたすぐ来るから頑張ってね』と・・・

これが 意識のある父との最後のやりとりになってしまいました。

この2日後に危篤の連絡が来ました。

 危篤 家族で北海道へ向かう途中の5つの奇跡は父の力?

父 危篤の連絡は、お昼頃。

すぐに孫である息子たちに連絡し、私は飛行機の手配。

この日はあいにく 三連休の初日の土曜。

ひと席しか取れず、パニック!
とりあえず家族全員 空港へ向かおうと結論を出した時には、私の飛行機の時間も迫ってました

息子たちは各自、空港に向かい
母は兄と空港へ向かう。
とりあえず、キャンセル待ちするしかないと・・・

私はこの時点で、まだ父は持ち直してくれると信じていたので、連泊で看病できるありったけの荷物をスーツケースに放り込んで、家を出ました

が・・・

今日に限って タクシーが全く通らない!!
半泣きで、大通りの交差点まで出てかなりの時間ロス!!なのにタクシー来ない(泣)

もう本当に泣き出したくなった時、タクシーが!!

奇跡1 1人目のタクシー運転手さん

 私の様子で察してくれて事情を話すと 急いでくれました。
(法廷の範囲内ですよ!運転手さんの名誉の為!)

おかげで、搭乗手続きギリギリの時間に空港到着!!

奇跡2 空港に着いたら、私の飛行機が遅延!
 おかげで 家族5人全員が、各自空港に到着!作戦を考える時間が出来た!

奇跡3 私の乗る 旭川行きのキャンセルは無い。
 ならば札幌から旭川まで電車移動なら? とググる。
行ける!札幌からギリ終電で旭川に着く!しかも札幌行き 4席空席あった!!
後は兄に託し私は旭川行きへ搭乗。

ちょっと落ち着いたら、ホテルどうしよ?ネットをみるも、全く空いてない(泣)

奇跡4 2人目のタクシー運転手さん  先に旭川に着き、タクシーで病院へ・・・運転手さんに観光じゃないの?と声をかけられ、これまでの事情(父危篤・後から家族が札幌を経由してくる・ホテルも取れてない)を話すと、『病院のすぐ横のホテル 知り合いだからなんとかできるよ』と電話してくれて、あっという間に確保してくれたのです。
そのホテルは前回も泊まったホテルで、ネットで見た時は満室でした。もう感謝感謝です。

奇跡5 札幌経由は、終電ギリギリの行程で、乗り継ぎに失敗したら今夜中に旭川へはつかない為、乗り継ぎ行程のスクショを息子にせっせと送り 無事、夜中1時半頃に家族全員が父のもとにたどり着いた。

きよ

今、考えると 実は全て父がお膳立てしてたんじゃないかな?

ちなみに息子は 危篤の前の晩 じいちゃんの夢をみて
私からの連絡ですぐ じいちゃんの事だとわかったそうです。

 父に感謝と懺悔。家族全員で父を看取る

先に到着した私。そして意識のない父。

きよ

ごめんねお父さん
この前 帰らないで
そばにいれば良かった

おととい東京に帰ったことを悔やみ泣いた私。

看護師さんが、肩を抱いてくれて

看護師さん

そんなことないよ

意識はないように見えても耳の機能は最後までちゃんと聴こえているから
自分の思いを伝えるといいよ

私は、お父さん子で
ほんとうに父に可愛がってもらった事。

私の離婚、とても心配をかけただろうに、一言もそのことに触れずに、受け入れてくれたこと。

孫である息子たちに父親役のように接してくれたこと。

あげたらきりがないくらい 感謝の思いを 父の手を握りながら伝えました。

そして 懺悔も。

私はシャイ?というか、口下手で
家族に対してあらたまってお礼などをいうのは、どこか こっぱずかしくて言えない人間でした。

そう。結婚した時に 誰もがやる 花嫁のお約束。「あれ」をしていなかったのです。

「お父さん、今日までありがとうございました。」ってあれですね。

結婚式もしなくていいという私に、式だけでもあげなさいと言ってきかなかった父。

本当にかたちだけの式だったので、披露宴などはなく、両親への手紙などもありません。

なのに あの挨拶さえしなかった私です。

結婚したからってすぐ近くに住むし
こっぱずかしいし、いいでしょ?とスルーした私

ごめんなさい。

また 高校生の時 父と大喧嘩してひどいことを言った事も。

きよ

お父さん
2日前のあの握手
ぜったい忘れないよ

私だけ先に到着した事も 偶然ではないような気がします。
家族の中で一番父に愛されてたと自負する私です。

きっとみんな一緒だったら、言えなかったかな?
最後に父につたえる時間ができて よかった

その後、みんなが到着
それぞれの思いを父に語りかけ

家族全員に囲まれながら父は静かに逝きました。

ほんとに絵に描いたように 
 家族全員に見守られて・・

 遺骨になった父と飛行機で自宅へ帰る

明け方近くに亡くなった父。これからどうするか?

息子たちにとりあえず高齢の母をホテルに連れて行ってもらい 兄と今後の相談。

私は当然 父を家に連れて帰ってから葬儀だと思ってた。

兄は 私の考えは難しいという・・

父をどう連れ帰るのか?
手段は?費用は?空港までと空港から家までの運搬の連携は? 等々わからないことだらけ。 

実際、葬儀は身内だけで良いのでは? だったら 家族全員が揃ってる今 こちらで葬儀・火葬して 初七日は家で行う方が無理がない。という結論に至りました。

病院から紹介された葬儀社に依頼し、北海道で家族葬と火葬を行いました。

ちなみに 北海道から東京へ飛行機で 遺体を搬送するには ざっくりと30万位かかるそうです。他にはフェリー・陸路など方法は他にもあります。
お金というよりも その段取りなどが本当に大変。

火葬場から帰る時、おかしな話ですが、
私は魂になった父が ちゃんと家に帰れるのか心配になって

「お父さん、ちゃんとついてきてよ?』と

火葬場の煙突から空に向かってる煙に声をかけました。


あれ?幽霊ってどこでも簡単にワープできるんだっけ?心配は無用か?(笑)

そして・・・ふと

ん?遺骨って飛行機に乗せても良いんだっけ?

 父の最後のフライト

実際に帰宅したのは父が亡くなって3日後
連休も終わり、飛行機の座席も取れて いよいよ帰宅です。

で、遺骨って飛行機に乗せても良いんだっけ? です

周りの人に気まずいから
遺骨、リュックに入れよう

きよ

え?気まずいって・・・

別にわるいことじゃないのに?
(きよ 心の声)

荷物じゃないよ?お父さんは💢
(きよ 心の声)

こんな会話は まったく不要でした(笑)

父の最後のフライト あたたかい心遣いをいただきました

航空会社の皆さんのおかげで 無事に父は自宅へ帰ることができました

後でこのお話も 記事にしたいと思ってます

ちょっとスピリチュアルな奇跡の数々

父は なんというか ここっていう時に
 割と運がある人でした。

孫と同じ誕生日 
つまり父の誕生日に、初孫が誕生したり
(私が産んで差し上げたんですけど(笑))
もちろん偶然ですけどね

今回、不慮の事故から悲しい結果になりましたが、
今どき 家族全員に見守られて旅立つって なかなかない事ですよね

父の弟である 叔父も
「大好きな旅先で、亡くなるなんて兄貴らしいな」と。

きっと父は 幸せな人だったんだと思います。

ながーい話を 読んでくれて
ほんと ありがとうございます。