こんにちは きよです
低収入の私は なにか副業を始めようと
思い立ったわけですが 何がいいかな?
そして ふと 思い出したのです。
私の母は 思えばセドラーでした
小さい時 母の仕入れに付き合った記憶があった。当時 店もないのにそんなになんで洋服を買うのだろうと不思議に思ったものの すっかり忘れていたけど
あれは まさに せどりだったのです。
苦労人 母のせどりと資産の作り方
当時の母は パートもしながら 日本橋の問屋街で服の仕入れをしてました。
パート先のお友達に 服を売っていたのです。
これは 最近母に聞きました。
私が思うには 特にセンスがあったわけでもない母が、お友達に 「その服いいね 仕入れてきてよ?買うからさ」と せどりが始まったらしいです。
当時は せどり とは言わないですよね(笑)
1 母と祖母 嫁姑の関係は
私の生まれた家は 決して裕福ではありませんでした。 だからと言って 貧乏だと思ったことはありませんでしたが、なんとなくそんなに余裕のある家ではないとはわかってました
当時流行っていたゲーム機等は当然買っては貰えなかったですね😅
自分が大人になり いかに当時の母が 苦労していたのか 自分が母になってみて しみじみ感じました。
仕入れの資金を出していたのは まさかの 姑(私の祖母)
もちろん自分のパート代は資金として それでも 足りない分は
姑であるおばあちゃんが出していたと聞いた時は びっくり。
子供の私の前で 嫁姑の争いは一度も見たことはなかったけど、子供心に なんとなくピリついた空気は 何度も感じたことがありました。
でも、祖母も母も 私の前でお互いの悪口を一切言ったことはなかったな。
あ、父の悪口はありますよ(笑)二人とも(笑)
私が 結婚して離婚して 色々と母と話すことが多くなって
祖母が他界した後に やはり少しは嫁姑問題があった事を話してくれましたが
それでも悪口を一切言わない母は 本当に尊敬です。
もちろん私が おばあちゃん子だったから その気持ちを汲んでくれていたんでしょうけれど
本当に尊敬です。
また祖母も 同じように 尊敬しています。
一生懸命家計を支える母に 自分の年金から資金を出してくれていたそうです。
2 母がせどりを思い立った本当の理由とは
母がせどりを思いついた本当の理由は
生活費の補填というよりも 自分の母(私の母方祖母)を いざと言うときのために 父に文句を言われずに資金援助する為だったそう。
母と父は 決して仲の良い夫婦ではありませんでした。お見合いだったそうです。
私は 父に可愛がってもらっていたし、
大好きでしたがとても厳格というか・・・
う〜ん。私は父が好きだったので、あまり言いたくないですが、夫として見たら・・なかったな・・と。
父曰く、うちは余裕はないから お前の親の面倒は見れないと言われたそうです。
自分の母(姑)の面倒は 母に見させておいてそれはないだろと、これを聞いた時は ちょっとショックでした。
あ、これを聞いたのは父が他界した後です
これもまた 母を尊敬です。
母方の祖母は 叔父(母の弟)夫婦が面倒を見てましたが、母は長女だったので、責任があったのだそう。
ここで母は じゃあ、文句言われないお金を作ろうと思ったんだそうです。
3 せどりだけでなく 不動産まで!
なんと母は せどりだけでなく 不動産にまで手を出していた!
父は自分が稼いできた給与は全て母に渡して それでやり繰りすれば 家にいくら貯金があるとかは 全く感知しない人だったようです。😅もちろんそれは 足りなくとも感知しないという意味でもあるみたいですが。。。😓
私が結婚して子供が産まれて 母方の祖母と 母の兄弟である叔父叔母と旅行に行った時。叔母が私にポロッと「きよちゃん 新しいお家は見に行ったの?」と・・???と母を見ると 明らかに動揺していて妹である叔母を目で責めているようなリアクション。
そして諦めたように、私の兄が結婚した時の為にと家を買ったが 今は人に貸していると。
当時は自分も子育てが大変すぎて ふーんとしか思わなかったけど、父にも内緒で中古とはいえ家を買うって(笑)すごいですよね。 私が幼少の時思っていた 「うちは余裕がない」は 母がガッチガチに家計を締めていたにすぎなかったんですね(笑)
その家も、結果的には 兄は結婚もしないまま ずっと人に貸し続けて コロナ禍の前に もう充分元は取れたと売却処分しました。
母なりに終活の準備に入ったようです。
4 せどり・不動産以外にも 株式投資!
そんな母が 唯一私に ポーンと買ってくれたのは 二十歳の振袖一式でした。
私は あまり欲しくなかったけど、半ば強引に振袖を買いに行ったのを覚えています。
全てに 家計を締めて ものをあまり買ってくれなかった母が 唯一私に強引に買ったのは 今までの懺悔?のような気持ちだったんでしょうか。私は特に欲しくなかったけど(笑)
その振袖、私は一回しか着ませんでした💧 ごめんなさい。でも 着物は私の従姉妹たちが順番に着たようです。好きな振袖を選べなかった従兄弟たちには 気の毒だけど、母の姉妹たちもやはり苦労人だから 締めるところは締めるんですね😅
後で聞いたら それは株で儲けたらしい(笑)
知人(家を買った不動産屋)から勧められた株を購入したんだとか!!
不動産屋さんとは ボウリング仲間だったらしい。
中卒の母に株式なんてわかるわけもなく、ただただ素直に不動産屋さんを信じてたんでしょうね。
あ、ボーリング仲間の不動産屋さん 中学生だった私は よく電話がかかってくる不動産屋さんと母が浮気しているのでは?と思ってました(笑)
結果的には 不動産も 株式も 上手くいったから良かったものの
怖いですよね まさにカモネギですよね?(笑)
でも、そんな母にも 失敗はあったのです。
5 私が知った母の失敗とは
私が 投資信託の勉強を初めてイデコとNISAを運用し始めた頃 危ないセミナーに顔を出していた話を母にすると 母はフツーに「私も投資信託持ってるよ」 と?!!
え?ちゃんとわかってやってんの?!
「近所の銀行に勧められたから 何個かやってるよ。たぶんNISAも入ってるかな?』と!!!
うわー🦆かもねぎくんが ここにいたわ〜
一番ダメなやつ!😵
送られてきている運用報告書を見てみると!!
やっぱり 毎月分配型のぼったくり投資信託ばっかり〜
即刻、電話して解約させました。
電話口の行員は『来年まで待てば上がるかもしれないですから』とか言ってて
『一体何の根拠で?』と言ったら 黙ってました(笑)
はい。解約。
まとめ 親子の愛は偉大だな 稼ぐのは自分の為でなく 誰かの為
稼ぐのは自分のためと言うよりも誰かの為。
親子の愛は偉大ですね。
私の母はこの通り自分で 自分の母(私の祖母)の為に財を作ったのですが、肝心の祖母は介護など誰に迷惑をかける訳でもなくこの世を去り 使う事も特にないからと 自分がもし痴呆症になったり介護が必要になったら私や兄には、面倒は見ないで施設に入れれば良いんだよと そのお金もちゃんと残してかるから心配は要らないよと言います。それでも私や兄、孫である私の子供たちにも少しだけどちゃんと残すから。と言われた時は本当にびっくりしたと同時に感謝と尊敬の思いでいっぱいです。
もっとびっくりしたのは 自分が財を作れたのは 父にお前の親の面倒は見れないと言われた事だからと ある意味 父に感謝している・・と。
母は本当に偉大です。ふだんお互いに 口下手親子で 恥ずかしくてなかなか言えないけど 本当に母を尊敬しています。お母さんの子供で幸せです。
私は母の為に何ができるんだろうか? そして母のように 私は子供たちに何をしてあげれるのだろうか?
これから 精一杯 後悔のないように 何ができるのか考え実行するために 日々頑張っていこう!
母は 今年2021年で 傘寿80歳を迎えました。
息子たちと黄色いお花とグッズでお祝いをしました。